台湾三十三観音について
台湾三十三観音の由来
日本における三十三観音霊場巡礼の歴史は、1300年を超えています。
養老2年(718)、長谷寺の徳道上人は病で仮死状態となり、冥府で閻魔大王に出会います徳道上人は閻魔大王から、世の中の悩み苦しむ人々を救うために、33の観音霊場を開くよう命じられ、33の宝印と、これら33の霊場を巡礼した者は、その功徳によって地獄に堕ちないという起請文を授かりました。現世に戻った徳道上人は、33の霊場を定め、観音信仰を広めようとしましたが、当時の人々には受け入れられず、33の宝印を中山寺の石櫃に納めました。
約270年後、花山法皇によって観音巡礼が再興されます。花山法皇は第65代天皇であり、退位後、法皇となり出家しました。
明治31年(1898)に梅山玄秀老師が初めて渡台して以来、日本と台湾の佛縁は深く、永昌寺第十七代東海宜誠老師は、大正四年から昭和二十年まで台湾各地で布教につとめ、多くのお寺を創建しました。平成16年(2004)、永昌寺十八代東海亮道和尚は日本と台湾の尊いきずなを将来に繋いでいきたいと台湾三十三観音霊場巡拝を発起しましたが、東海亮道和尚ら重要な発起者の逝去を受け、台湾三十三観音は次第に寂れ、多くの寺院が諸事情により台湾三十三観音から退出しました。
令和6年(2024)、日本百観音の応援を受け、台湾仏教の観音文化を広めるため、各界の人々の支持の下、台湾三十三観音はメンバーを変え、再結成しました。台湾を訪れる世界中の観光客に、数多くの寺院があることを知っていただき、その地を訪れる旅の道程に、多くの台湾人との温かいふれあいを体感してもらえることを願って、さらに同行二人-観音様と同行-で台湾聖地に巡拝する菩薩行を修していただければと存じます。
特別感謝
台湾三十三観音特別顧問 釋永東博士
台湾仏光大学宗教学研究所教授、元仏教学院院長、書院総山長、学務長。
画家 李光棋先生
李光棋先生は26年間切手デザイナーとして活躍し、多くの賞を受賞しています。彼は仏教書籍を研究し、さまざまな姿の観音像を描いてきました。
画家 大音恭豊先生
世界各地を訪れ、数多くの神社仏閣や城跡、美しい風景を描いてきた大音先生は、台湾三十三観音の札所にも魅力的な作品を描いています。
台湾三十三観音第二十三番真巌寺住職 如永法師
如永法師は学生時代に日本へ留学し、台湾へ帰国後は仏教文化の普及、慈善活動、教育活動に力を注いできました。 現在は真巌岩寺と双冬妙法寺の住職を務めています。
彼女は多くの美しい仏教讃歌を手がけ、台湾三十三観音のテーマソング『心の旅』を制作し、歌ってくれました。
台湾三十三観音のホームページを開設するにあたり、ご許可とご指導を賜りました上記の皆様に厚く御礼申し上げます。